関東島商同窓会
第9回関東島商同窓会
野中 清[第15回卒島原]
去る10月23日(土)12時より東京都千代田区霞が関「霞山会館」にて「第9回関東島商同窓会」が開催されました。
当日は久しぶりに快晴で、来賓に同窓生かつ恩師で全国レベルの知名度である現国見高校の小嶺校長兼同校サッカー部総監督を来賓として出席いただいたこともあり、総数150名を超える盛会となりました。
開会はいつものように島原時間(?)である定刻から15分経過してから鍬取憲吾氏の司会で始まり、野中事務局長の開会宣言ののち
(1)中道幹事長挨拶
今回同窓会にご出席いただいた来賓ならびに多くの参加者を得たことへのお礼と、関東同窓会への会長からの同窓会旗寄贈いただくこと。
また、会場に飾られた立派なバラの花は恩師で松戸市在住の石黒先生に無理にお願いして持ってきていただいたもので、同窓会終了後は希望者にプレゼントしていただけるという紹介を行ったあと、今日のこの席・この時間を楽しく過ごしてください。と挨拶。
*関東同窓会旗は「横断幕」「会旗」のセットで、同窓生である島原市弁天町在住の「山口屋染物店」の前田氏に作成をお願いしたものです。
*石黒先生は「国際バラとガーデニング賞」でグランプリ受賞。バラを持ってきたのは中道幹事長に脅されたからと・・・・冗談混じりで話されていました。
その後、「事業・会計報告」「監査報告」「新役員紹介」と一通り終わった段階で、総会を終了し、懇親会へと移り、司会を関根聡子さんにバトンタッチしました。
参加者は、ご馳走が目の前に出されており、早めの乾杯を期待していましたが、ここからが長い道のりでした。
(2)渡辺会長挨拶
小嶺校長をお招きしたのは中道幹事長からのたってのお願いで、ご多忙の中を来ていただいたもので、お陰で参加者が30〜40名は増えただろうと思っている。と相変わらずの島原弁で場を和ませながら小嶺校長へのお礼を述べ、恩師の江口先生紹介は、「久しぶりの再会に会場入口で覚さんと抱き合ったが、骨はまだまだしっかりしており、暫くは大丈夫だと安心した。その場で、江口先生に挨拶いただくこととしているが、いつも長いので、手短にとお願いしておいた」とお礼と再会場面を紹介。
その後、小嶺校長は「朝日スポーツ賞」「県民栄誉賞」などを贈られているが、受賞年齢が若いこと。また、サッカー選手育成においてはアンダー20・ユースに複数の選手を送り出すなど、校長としての力量を示しており、同窓として誇りに思う。
さらに、小嶺校長が「国見発サッカーで『人』を育てる」という本を出したが、好評で増刷中の中を限定100冊を用意したが、先着順である。と購買意欲をくすぐりながら、今回の盛会と次回(当同窓会第10回)を楽しみにしていきたい。と挨拶。
【来賓】
▼島原商業高等学校 権藤哲郎校長、中村摂也教諭(24回卒)
▼島原商業高等学校同窓会 植木誠二副会長(13回卒)、石川嘉則理事(2回卒)
▼国見高等学校校長兼サッカー部総監督 小嶺忠敏(8回卒)
▼長崎県サッカー協会 辰田英治(21回卒)
▼関東島原高等学校同窓会 近藤登一副会長、八幡秀昭副幹事長
▼関東島原工業高等学校同窓会 谷口光男会長、菅藤元康幹事長
▼関東口加会 福田学会長、岡本茂子副会長
▼関東島原南高等学校同窓会 児嶋新衛会長、森野昭治副会長
▼関東国見高等学校同窓会 中田敬美会長
▼恩師 江口覚太郎先生
▼恩師 吉野弘一先生(現在は文部科学省教科調査官)
▼恩師 石黒秀子先生
(3)来賓挨拶
@島原商業高校 権藤校長
渡辺会長のような流暢な島原弁はできないが、昨年度より赴任。2年後に創立50周年を迎えるが、丁度自身の定年の年に当たっており、立派にやり遂げたいと思っているので、支援をお願いしたい。
学校には学校力というものがあると思っているが、生徒と教育のみではなく、それを支えるPTAや多くの同窓生で成り立っている。本日の同窓会のできごと、同窓生の学校に寄せる思いを生徒に伝えたい。
また、母校では生徒ならびに先生も頑張っており、「ゆめ総体出場」「簿記・ワープロの全国大会出場」などを披露。あわせて各方面からの支援に対するお礼。
生徒数では、4学科が1クラス40名の160名規模となっている。帰省の折には学校に出かけて欲しい。11月には中道幹事長に来校いただき生徒の前で「人生の達人」と題した講演をお願いしている。
A島原商業高校同窓会 植木副会長
2年後に創立50周年を迎えるが、11月初旬から準備委員会を立ち上げる予定である。40周年の際には「同窓名簿」を作成したが、諸般の事情を勘案し50周年では作成をしないこととしたので、各地区同窓会の支援をお願いする。名簿は5千円で買ってもらったが、今度はその資金調達がないこととなる。卒業生は約1万2千人おり、1人1万円の寄付があれば1億2千万円になる勘定・・・寄付を宜しくお願いしたい。と本気とも冗談ともとれるユーモア溢れる挨拶。
B恩師 江口先生
島商が島高から独立した時から勤めたが、当時は就職相談に苦労した。求人案内が来ることもなかったことから、島高に来ているものを写して紹介する状況であった。図書館やその他施設もなく、グランドも草むしりからはじめ、サッカー・陸上・軟式庭球・バレーボールが共用であり、満足な練習もできない中で、皆がクラブに重複加入し、応援・協力しながら頑張り、素晴らしい成績を出し「やればできるという」雰囲気をつくりだし、県下でも恐れられたものである。文化部も珠算を始めとして活躍したが、みんな島商に育てられたものと思っている。
自身は75歳を過ぎたあたりから、ぎっくり腰やいろいろな病気も出てきたが、80歳になった今もそろばんを習いにくる子がおり、死ぬまでやらねばと思っている。皆もこれからも母校のことを思い出しながら、いつまでも元気で頑張って欲しい。
(短時間でと会長からはお願いしてはあったのですが、ついつい気合が・・・・)
C国見高 小嶺校長
大学卒業後、即島商に赴任し16年、国見に20年になるが、工業(高校)に男性が集まる中で、S52年島商がインター杯で初めて関門海峡を越えたことは意義あることだと思っている。当時のメンバーには山田耕介キャプテンがおり、彼らの活躍によって念願の一つが叶ったことは大変嬉しく思っている。
これからについてはサッカーの発展を願う身で、@法人化・Aキッズ化(底辺拡大)・Bサッカー文化を根付かせる、ことが願いである。
今後とも皆様のご支援を頂きながら、夢に向かって取り組んで行きたい。と抱負の披露方々、支援要請も・・・。
(4)新人紹介
前回は46回卒業までが新人でしたが、今回は47・48回卒が新人扱いとなり、壇上に案内され2名に司会から「ご挨拶を一言」と案内され、47回卒の石橋一弥君・島田祐次君が緊張気味に小声で「宜しくお願いします」挨拶すると、前回新人招待された45回卒川上直也君が「声が小さい」とからかう余裕を見せるまでの成長を見せ、諸先輩を喜ばせていました。
(5)懇親会
ようやくセレモニーが終わり、酒井副会長の発声で「乾杯」で懇親会に移り、久しぶりの同期との再会に加え郷里の料理に会話も弾み、参加者も笑顔で旧交を暖めあっていました。
若い参加者からは、「くろだご」「ろくべえ」は見たことがないといった声も聞かれましたが、珍しさも手伝って、初めての郷里の味を知る良い機会になったようでした。
幹事役は、会場を回りながら、少人数での参加者にも積極的に声をかけ、同窓会らしい年代を超えた交流ができたようです。
小嶺監督が自分のテーブルに巡回して来られると、自分は「小嶺先生の教え子であった」と学生時代の懐かしい思い出話で盛り上がったり、終会後に斡旋予定であった「国見発・・」の同監督の書籍を先行購入し「直筆のサイン&自分の名前」まで記載してもらうという、この場でなければできない無理をお願いする状況でしたが、小嶺監督も快くサインに応じていただいていました。
懇親会は、アット言う間に終了時間がきてしまったという印象でした。
終了に当って校歌斉唱となり、清水副会長をリーダーに若手参加者が壇上に集まり、準備を整えたところで、渡辺会長恒例の「語り」をお願いし、今後とも一致団結していこうという思いをのせて力強く行っていただき、校歌斉唱も無事終了しました。周りからは「今回が今迄で一番良かった」と好評でした。
続いて来賓である関東島原高校同窓会 八幡幹事長から「島商ならびに同窓会の発展」を祈念したエールを送っていただきました。
閉会となった段階で、清水副会長から閉会宣言の前に、「若き日を思い出し、熱くなっている。小嶺(敢えて呼捨て)とのエピソードを披露する。小嶺より1期先輩であったが、入学式の前に島商のクラブの練習に参加した際、小嶺はバレーボールに参加していたが、休憩の時、同級生と勘違いして『お互いにキツカなー』と言っていたが、堂崎中のバレーの先生からサッカー向きだという助言もあった模様で、入学式後はサッカー部に来ており、練習の時はサッカーばかり見ていたのではないかと思う。
これらのことが、小嶺がサッカーを始めるきっかけではないかと思っている。と当時の思い出話を披露。このエピソード紹介後閉会となりました。
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